朝ごはんを作りながら

KIVAの胚芽米をさっと研いで圧力鍋でガスコンロに乗せる。多摩川河原の散歩から帰った家人が「今日は幸せそうな猫を見た。」と話しかけてくるのをうんうんと頷きながら平目打ちの手鍋に鹿児島のサツマイモの半切れと北海道のメークイーンを1個とオレンジのパプリカとKIVAの北海道の小振りの玉ねぎ半切れを入れて瀬戸内海の有機の煮干しの粉を小さじ半分入れて火を点けて、ドアを開けっ放しの自室に戻ってこれを打っている。

一週間経っても咽頭部の痛みが取れないので昨日の午後3時に市内の西村医院に行ったら、「扁桃腺も腫れていないし、お腹の痛みもないし、下痢もないし、頭痛も特にないし、熱もないし、食事もいつも美味しいし、でもやはり細菌性の風邪だったようです。

8月の立ち入り検査から第2回目の改善レポート用の第3版を特にウンウン唸りながら解いう訳ではないが完成させて新宿にメール添付で送信。あとこういうのを3種類とその他50ページ位の記録簿の写し月末までに必ず完了させてやる。

給料日に

100個位のやらねばならないことが僕を取り巻いているような気がする。

取り敢えず、10個に絞って、その中で優先順位を決めて1つずつやっつけて行くしかない。

2011年から更に3年程昔になるが、青梅のかんぽの宿で50人位の嫌もっといたかも知れない。「阻止の会」の夏合宿の大広間で下山保さんにNPO某研究所代表の東大出身の方を紹介された時に、それまでの僕の殻が破れたのだった。

その人につい甘えて何か相談したのだが、「そんなことは自分でやれば。」と一喝されたのでした。

言われて見れば確かに自分で解決できる問題でした。

それから11年があっという間に過ぎたというのに、その問題が未だ解決できていないことに呆れてしまう。いつでもやれる能力を僕自身が持っているという過信が今日のテイタラクな日常を招いているのだ。

さて殻を脱ぎ捨てて、一歩前に踏み出そう。

今朝、てっきり毎月のファクタリングの入金があるものと思って

某信金新宿支店に行ったら、まだ入ってない。

5人のバイト代を振り込む作業があるのに。取り敢えず、今日の振り込みを待っているK君に携帯からメールで明日になる旨を打った後、本当に明日、入金になるのか確認する方法があるのでWifiのあるスタバかヒルトンホテルのRIEでLinuxウブンツを立ち上げて見ようと思うが、こういう時にこそ「オレに追いて来い。」と言う強い社長業の意思を見せなければならないなどと思って、某地下駐車場で1時間半程うたた寝をしたら、時間が来たので15分間で済む花園小学校の送迎をやって中央道に乗って帰路に着いたのだった。

スカラー君と8年振りに会って

2011年3月11日の夜だけということはないだろう。

東北自動車道の大宮料金所は、何日間か開放していたと誰からともなく聞いた記憶があります。 それとは対照的にインターネット接続業者は、津波に呑まれ地震で倒壊した多くの家々の光ケーブルの月額使用料をその後遂に仮設住宅に引っ越してもまた県外に避難していても何という欲の皮の厚い、人間として有るまじきことなのに、3月分からその後何ヶ月も何年も存在しない光ルーターの引き落とし口座にいつもと変わらず請求し続けていたという。

そう言えば、その後1ヶ月も経った頃、高速警察隊は大宮料金所でいつもと変わらぬシートベルト着用の検問を敷いていた。おそらく、毎日のように被災地の住宅に入る泥棒に少しでも治安の回復にと法治国家の威信をかけてのことだったかも知れない。しかし、考へて見れば、善意だけで身銭を100万円も使った多くの個人ボランテイアがいる反面で人間の愚かさが剥き出しになっていた其処彼処で検挙されている若者達がいたことも事実である。当時最年少の31歳で私の率いるトラック隊に参加したスカラー君も現在は39歳になったと云う。