スカラー君と8年振りに会って

2011年3月11日の夜だけということはないだろう。

東北自動車道の大宮料金所は、何日間か開放していたと誰からともなく聞いた記憶があります。 それとは対照的にインターネット接続業者は、津波に呑まれ地震で倒壊した多くの家々の光ケーブルの月額使用料をその後遂に仮設住宅に引っ越してもまた県外に避難していても何という欲の皮の厚い、人間として有るまじきことなのに、3月分からその後何ヶ月も何年も存在しない光ルーターの引き落とし口座にいつもと変わらず請求し続けていたという。

そう言えば、その後1ヶ月も経った頃、高速警察隊は大宮料金所でいつもと変わらぬシートベルト着用の検問を敷いていた。おそらく、毎日のように被災地の住宅に入る泥棒に少しでも治安の回復にと法治国家の威信をかけてのことだったかも知れない。しかし、考へて見れば、善意だけで身銭を100万円も使った多くの個人ボランテイアがいる反面で人間の愚かさが剥き出しになっていた其処彼処で検挙されている若者達がいたことも事実である。当時最年少の31歳で私の率いるトラック隊に参加したスカラー君も現在は39歳になったと云う。