朝ごはんを作りながら

KIVAの胚芽米をさっと研いで圧力鍋でガスコンロに乗せる。多摩川河原の散歩から帰った家人が「今日は幸せそうな猫を見た。」と話しかけてくるのをうんうんと頷きながら平目打ちの手鍋に鹿児島のサツマイモの半切れと北海道のメークイーンを1個とオレンジのパプリカとKIVAの北海道の小振りの玉ねぎ半切れを入れて瀬戸内海の有機の煮干しの粉を小さじ半分入れて火を点けて、ドアを開けっ放しの自室に戻ってこれを打っている。

一週間経っても咽頭部の痛みが取れないので昨日の午後3時に市内の西村医院に行ったら、「扁桃腺も腫れていないし、お腹の痛みもないし、下痢もないし、頭痛も特にないし、熱もないし、食事もいつも美味しいし、でもやはり細菌性の風邪だったようです。

8月の立ち入り検査から第2回目の改善レポート用の第3版を特にウンウン唸りながら解いう訳ではないが完成させて新宿にメール添付で送信。あとこういうのを3種類とその他50ページ位の記録簿の写し月末までに必ず完了させてやる。

給料日に

100個位のやらねばならないことが僕を取り巻いているような気がする。

取り敢えず、10個に絞って、その中で優先順位を決めて1つずつやっつけて行くしかない。

2011年から更に3年程昔になるが、青梅のかんぽの宿で50人位の嫌もっといたかも知れない。「阻止の会」の夏合宿の大広間で下山保さんにNPO某研究所代表の東大出身の方を紹介された時に、それまでの僕の殻が破れたのだった。

その人につい甘えて何か相談したのだが、「そんなことは自分でやれば。」と一喝されたのでした。

言われて見れば確かに自分で解決できる問題でした。

それから11年があっという間に過ぎたというのに、その問題が未だ解決できていないことに呆れてしまう。いつでもやれる能力を僕自身が持っているという過信が今日のテイタラクな日常を招いているのだ。

さて殻を脱ぎ捨てて、一歩前に踏み出そう。

今朝、てっきり毎月のファクタリングの入金があるものと思って

某信金新宿支店に行ったら、まだ入ってない。

5人のバイト代を振り込む作業があるのに。取り敢えず、今日の振り込みを待っているK君に携帯からメールで明日になる旨を打った後、本当に明日、入金になるのか確認する方法があるのでWifiのあるスタバかヒルトンホテルのRIEでLinuxウブンツを立ち上げて見ようと思うが、こういう時にこそ「オレに追いて来い。」と言う強い社長業の意思を見せなければならないなどと思って、某地下駐車場で1時間半程うたた寝をしたら、時間が来たので15分間で済む花園小学校の送迎をやって中央道に乗って帰路に着いたのだった。

ヘルパー自身の自家用車を使った福祉有償運送が、福祉タクシーと根本的に違うところ

原則論になるが、前者は施設入居者または訪問介護ステーションの利用者限定の指定福祉サービス車両であり白ナンバー若しくは黄色ナンバーであるのに比べ、後者の運転手は要2種免で緑ナンバーでかつ利用者は自治体の発行した介護タクシー券を持っている人などである。前者は、患者若しくは障害者(児)の利用者と運転するヘルパーとの関係がより密接であり、更に言うとこの指定福祉車両を包むノスタルジックなオーラーが患者若しくは障害者(児)に与えるものは計り知れないものがあるのである。おそらく幼児であればあるほど、その感受性は正に母なる揺りかごで眠るがごとくあるのであろう。いや、おそらくはヘルパー自身が己の感性と好みで選んだ自家用車にただ単に自分勝手な一方的な愛情と思い入れを入れているだけでいいのである。それが、おそらく助手席のチャイルドシートの中の障害児に伝わったのだろう。それが日常的なサイコシスシングルマザーのネグレクトから逃れるレスパイトとしての通園のための移動支援に一役買ったことを考察してみたい。

しかし、原則的に「移動支援」とは、ほとんど100パーセント徒歩でする視覚及び聴覚障害者(児)との「同行援護」のような突発的な行動を抑制するある種特別な任務を帯びた介護労働ではあるのですが、自治体によって(新宿区と八王子など、)若干の規制の違いはあるが車両を使うことは原則禁止である。都立公園での散策の場合など目的地までの公共交通機関を使用が原則であるが、患者若しくは障害者(児)の状態によって特別に申告しなければならないということもないのですが、目的地までだけならヘルパーの自家用車を使った福祉有償運送で行ってもいい。ただし、その間の時間数は「移動支援」に該当しない。あくまで、公園の中の散策の時間だけを請求することができるというものである。

さて、2組のシングルマザーサイコシスの同い年の4才の男女2名の通園のための「移動支援」に何故か特別にヘルパー自身の自家用車での送迎が非公認のまま四谷保健センターの担当の保健師さんの判断で卒園式の日まで約2年間強行されました。

色々なことがありました。

男の子の方がデリケートなのかも知れませんが最後の10か月間はものすごく抵抗して不登校と自閉症に陥ってしまいどうしょうもありませんでした。それで日曜日に青梅鉄道公園や八王子のサマーランドや、東秋川橋でのバーベキューや五日市のスーパー銭湯など2組の親子と弊所の准看護師を乗せて日帰りのレクレーション活動を3か月毎にやり、毎月2〜3回は、早朝の晴海埠頭に海をただ見に行くだけですが、1対1でやるときのみ「移動支援」を使わせていただきました。

就労支援B型「ほっとスペース八王子」の9人乗り福祉車両をお借りしました。

さて、昨年12月のタクシー業者などを入れた有識者による審査会のテーブルに載せる直前に弊所の「非営利法人」について余りにも珍しい法人形態だったために自治体担当から中止して欲しいという要請があったのでした。

その時、担当が言うには、国交省担当と話した結果「社会福祉法人かNPOしかダメ」という感じだったそうです。しかし、私のやろうとしていることは、そんなに大袈裟なことなのであろうかという気がしたのではあるが。そもそも、タクシー業者は関係ないでしょうと思ったりもしましたが。因みに、弊所の「非営利法人」は新宿法務局第1号です。全国でもまだ非常に稀な「法人税の掛からない」会社なのではあるが。

昨年秋に弊所主催でやった「シングルマザーサイコシスとASD児童の為のレスパイト、クラシックミニワンメイクレース」は、草の根事業育成財団からの助成金を受けています。すごいでしょ。

I do not go as I think

なかなか思うように行かない
それでも、明日は抜弁天のなんたら通りという細道の先の
今時珍しい昭和初期のあばら家に夫妻で住んでいるS氏が
お稲荷さんを作ったので
冨久児童館の学童に通う
知的障害児童のAちゃんのお昼の弁当に取りに来てと
電話があった。
今朝は、花園小のプールは
「しんえん学級」はお休みだったが、
午前9時に担任の先生からちょうど車で迎えに来たのなら
Aちゃんの朝顔を持って帰ってくれと言われて助手席の前に乗せたら
意外とスムーズに入った。
9月の新学期にはAちゃんが学校に持参することになっているのですが、たぶん
その時は枯れていると思いますが、
その枯れた朝顔のツルでリースか何か工作の材料にするのですと
Aにとってはいつもは鬼のように怖い先生が
ニコニコと説明してくださりました。
午前8時15分から30分くらい玄関の足拭きマットを土俵にして
Aちゃんと相撲をして10回に8回くらい負けてやるのを見ていた
小柄な3年生の女の子が
「私もお爺ちゃんとやりたい。」と言って来たので
もう5回くらいその子に負けてやったりして
いたら、9時になって
「今日のプールは、健常児のみです。」
と言われて
ああ、また間違えました。
お母さんのも、ヘルパーの私のも2枚とも
今週の予定表を失くしましたもので、と平気で言う神経が
分からないと、会社に戻って
また経理のおばさんに怒られるのであるが、まあ、そんな時も
私の頭の中は
やらねばならないことが目白押しで
どれもこれも全然やれていないことに
さてと如何したものかと
1970年代後半の4年間毎年
標高3千メートルの南アルプス千枚岳頂上直下にある登山小屋に夏期の3ヶ月間だけ
小屋番をしていた頃、
まだ誰も登山客が登って
来ない6月の1か月の準備期間の頃、
遠くの雲海の下のヘドロのようなカスミの中の人々のことを
毎日毎日ただボウっと想っていた。
余りの静けさに天頂だけは漆黒の
紺ぺきの空から「シーン」という音がよく聞こえたものだったが。

5日目でやっとtutanotaに新規登録できました。
2日目にドイツの係りから回答があり、どうも私のIPがブラックリストに載っているみたいな感じなので自分でもMGTのオンラインチェックリストで検査してみたのですが、
特に大丈夫なようでしたが。

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3日目にも性懲りもなく、手持ちのWinOS10でやったりアンドロイドなら行けそうな感じなのでスマホでダウンロード寸前まで行ったのですが、
iOS10以上でなかったためやはりダメでした。
4日目には、iMacのOSを最新のものにしたら行けるんじゃないかと思ったのですが、本体が2009年以降でなかったために出来ませんでした。
本日、場所を変えて新宿通りの喫茶店の前に車を止めて店内でFireFoxをDLしてそれからtutanotaのサインアップに成功したのですが、
48時間後に自動認証されるというものですが、ともあれ成功しました。
目の前でシルバーかボラか又は自治体のアルバイトの法的拘束力がまったくないという
わけでもない駐禁ステッカー貼りの2組のおじいさんたちに「わかってるわかってる」と熱い視線を送ったりしながら
30分はかかりましたが。
ともかく皆さんにご報告いたします。

I do not go as I think
Even so, tomorrow will be the end of a path called a street of the end
Mr. S, who lives as a couple of husbands and sisters in a rare early Showa era house
Because I made Inari-san
I attend school children in the Yukyu Children’s Center
When it comes to pick up for lunch of lunch of intellectually disabled child A
There was a phone call.
This morning, the small garden at the Hanazono
“Shin-en class” was a holiday, but
If you just came by car from your homeroom teacher at 9 am
If it is said that you should bring A’s morning glory back and put it in front of the passenger seat
Unexpectedly it went smoothly.
A is supposed to bring it to school during the new semester in September, but maybe
I think that time is dead,
With that dead morning glory vine and I will use it as a material for leasing or something
A scary teacher always like a demon for A
I explained it as smiling.
8:15:30 about 30 minutes on the porch of the porch of the entrance
I watched a sumo wrestling with A and losing about 8 times in 10 times
Petite third grader girl
As I said, “I also want to do with my grandmother.”
I have lost to the child about 5 times
If it is, it is nine o’clock
“Today’s pool is only healthy children.”
It is said that
Oh, I made a mistake again.
My mom’s and my helper’s both
I lost my schedule for this week, and my nervous nerve said
If I do not know, I will go back to the company
In addition, it is angry at the accounting aunt, but well, such a time
In my head
At a glance it is necessary to do
None of this has ever done
Well what and what
Every four years in the late 1970s
A mountain hut just below the summit of the Southern Alps, 1000 meters above sea level, for only 3 months of summer
When I was in the coop,
No one climbs a mountain climber yet
Around the preparation period of one month of June, which does not come,
Of people in a deep cloud-like sea in the distance like a sludge
I was just thinking about it everyday.
To the stillness of it
Although the sound of “scene” was heard well from the sky of the sky.

On the fifth day, I finally registered for tutanota.
On the second day, I got an answer from a German representative, and I felt that my IP was on the blacklist, so I checked myself on the MGT online checklist,
It seemed especially fine.

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On the third day, I did not get angry, and I felt I could do it on my own WinOS 10 or Android, so I went to download almost on my smartphone,
After all it was useless because it was not iOS10 or more.
On the 4th day, I thought that I could go after updating the iMac’s OS, but I couldn’t do it because the main unit was not 2009 or later.
Today, I changed the location, stopped the car in front of the Shinjuku Street Cafe, DLed the FireFox in the store, and then succeeded to sign up tutanota,
It is said that it will be automatically authenticated after 48 hours, but anyway it succeeded.
It is said that there is no legal binding of silver or bora or part-time job of the municipality in front of the eyes
While sending a hot line of sight, saying “I know I know” to the two sets of grandfathers of the affixing sticker sticker not only
It took 30 minutes.
I will report to you anyway.

It seems that it was finally invaded

一般的には闇サイトと誹謗されているTorブラウザを入れた途端ですが、iMac 10.11.6 El Capitanのここ2〜3日の動きが怪しいのでOSをフォーマットしようと思ってハッタと気が付いたのであるが、彼は昔の彼あらず、政府機関や自治体との毎月の遣り取りの書類の控えなどは5年保存が義務付けられておりそんなに容易くは最早フォーマットは出来ないのでまずファイルの保存先に1週間前にサインインが完結したばかりのNextCloudに入れて置こうと思うのである。

ついに侵入されたかと思うのは、ここ数日来で私のiMacが、流石に2008年製は旧型過ぎて、OSの最新版のmojave 10.14.5にアップグレード出来ないことが主たる要因だと思うのであるが、しかし、これが原因でドイツのtutanotaにサインイン出来ないのではないかとあれこれ試していると3〜4時間はすぐに経過して肩凝りの自覚症状があるのにまだムキになっている自分に気がついて、もう若くはないのだからと自分に言い聞かせてベッドに這い上がるのだった。

It seems that it was finally invaded
In general, it is as soon as I put the Tor browser, which is considered to be a black site, but I noticed that I was trying to format the OS because the movement of iMac 10.11.6 El Capitan was suspicious in the last couple of days, and I noticed However, he is obliged to save the documents of the monthly exchange with government agencies and local governments for 5 years, and it is not easy to format them any more. I’m going to put it on NextCloud, which I just signed in a week ago

I think that it was finally invaded, because the main reason is that my iMac has not been able to upgrade to mojave 10.14.5, which is the old version of the OS in 2008, which is too old for the past few days. However, if you try this, you may not be able to sign in to tutanota in Germany, and if you try this, it will still be overwhelmed even though you have symptoms of stiff shoulders for 3 to 4 hours. I noticed myself and told myself that I wasn’t young anymore and I climbed up in bed.

返信をありがとうございます。
私の契約する日本の代表的なNTTのルーターの割り当てIPからのメールが何故スパムになるのか残念です。
私は非営利法人母と子のセンターの代表のOGURI HIDEAKIと申します。TUTANOTAのメールアカウントのサインアップができなくて困っています。何か良い解決方法があれば教えてください。

thank you for your reply.
It’s a shame why emails from the IP assignment of a typical Japanese NTT router to which I contract become spam.
My name is OGURI HIDEAKI, a representative of the non-profit corporation Mother and Child Center. I’m having trouble signing up my TUTANOTA email account. Please let me know if there is a good solution.

Hello,
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My computer environment

メインは、iMacの24intiの2008年製のOSX El Capitan 10.11.6で毎月Excelで自治体宛ての書類など大体のことはこれ1台でできているかと言うと、今日びはOSがMS社のWin指定なので政府の認証は別に専用ノートを用意している。

中央のPowerbook G4のCPU/1.25Ghzの2008年モデルでWeb母と子のセンターをOS9.2.2でFileMaker社のHP作成ソフトからDrupalに流しているのだが、最近2個目のバッテリーが10年位持ったが死んだことと電源コネクターが破損したまま長年使っていて作業中に突然画面が消えることがよくあるので、今日はPowerMacG4 /8570の2008年モデルというCllasic環境とダブルブート出来る機種と別に23インチのスタジオデイスプレーを合わせて3万円位でヤフオクで手に入れたのであるが、これにPowerbook G4でずっと使ってきたCyberduck 2.8.4をDLして母と子のファイルを移植しようとしているのであるが、すでにPowerMac G4は、オリジナルのDVDのOSX10.2.6から僕の手持ちのTiger 10.4にアップグレードしてさらにソフトとプラグインを3回アップグレードしてもまだこのCyberduckのOLDバージョンのダウンロードがうまく行かない。最初は標準のIE for Mac5.2とか無茶苦茶懐かしいのだが全く動かないブラウザが1個しか入ってなかったり、MacPeopleの2001年4月号の付録CDからNetscape 6.0を入れてGoogleが表示できたので動きそうな感じがしたのだが、まあプラグインなんか全然ない状態なので、6時半頃からすでに3時間もからかっているのであるが、今日のところはここまでで寝ることにする。  

The main thing is that iMac 24inti 2008 OSX El Capitan 10.11.6 and monthly documents for the local government etc. can be mostly done with this one machine, and today OS is MS OS Win As it is designated, the government’s certification prepares a dedicated note separately.

A central Powerbook G4 CPU / 1.25 Ghz 2008 model with a Web mother and child center running on OS 9.2.2 from FileMaker’s HP creation software to Drupal, but recently the second battery is around 10 years Today I am using a PowerMac G4 / 8570 2008 model with a Cllasic environment and a model that can be double-booted separately from the PowerMac G4 / 8570 model, as I have used it for many years with dead power and a damaged power connector and the screen often disappears while working I obtained a total of 30,000 yen for the studio display of an inch and obtained it for about 30,000 yen, but I try to DL and use my mother and child files by DLing Cyberduck 2.8.4, which I have used in Powerbook G4. Although PowerMac G4 has already upgraded from the original DVD OS X 10.2.6 to my hand-held Tiger 10.4 and upgraded software and plug-ins three more times, this Cyberduck is still Download of the OLD version does not work. At first the standard IE for Mac 5.2 or so nostalgic nostalgic, but there is only one browser that does not work at all, Google can display Netscape 6.0 from the appendix CD of the April 2001 issue of MacPeople and display Google So I felt like I was moving, but I have no plug-ins at all, so it’s already three hours since half past 6 hours, but I’m going to sleep so far for today.

Ochoko (Sake cup)& Guinomi (Large sake cup)

日本酒は4センチ掛ける4センチの備前焼で焼酎は半年前くらいに新宿の高島屋でリカさんが買って来た信楽焼の大振りのヤツだ。このテーブルクロスもその時一緒に買ったヤツだ。昔はレモン絞り機で絞りたての果肉入りのを入れたものだが、最近は生協の有機レモンである。

夕方、少し寝たのだが、とてもいい夢を見た。それは40年近く隣に住んでいる異常なほど無口な山形県の大工さんが、ついに心を開いたという日の夢だった。

Sake is Bizen with 4 centimeters and 4 centimeters long, and shochu is a big swing of Shigaraki, which Rika bought at Takashimaya in Shinjuku about half a year ago. This tablecloth is also the guy I bought with that time. In the old days, it was freshly squeezed with a lemon squeezer, but recently it is a co-op organic lemon.

I slept a little in the evening, but I had a very good dream. It was a day dream that an unusually silent carpenter in Yamagata Prefecture who lived next to for nearly 40 years finally opened up his mind.

Pretty eyes

日比谷図書館にいる。
ガラス越しにカモメの噴水が見える。
PRONTのコーヒーにバームクーヘンのセットで610円というのをたのんだのだけれど、バームクーヘンが甘過ぎて、だいたい気持ちいい甘さじゃないのだ。
最初から頼まなければ良かったと後悔している。
だいたい、地下駐車場の車に戻れば、リカさんが焼いた酵母パンに生協のバターを塗ったのが一切れラップに包んだのが籠の中に入っている。山用のステンの保温ボトルには生協の豆乳にネスカフェを入れたカフェオレも入っているというのにね。2~3日前、秋山君がまたいつもの如くひょっこりと前触れもなく朝7時半にH6年式のランクルの今では珍しい3000CCのデイーゼルの4ナンバーだが5人乗りのに朝取りの野菜を積んで現れた。
WordPressのBlogに入ってさてという時に

「投稿を公開するには、pencil@jca.apc.org に送信された認証メールのリンクをクリックしてメールアドレスの確認を行ってください。」というのでメーラーも
テキストもどちらも開けばiCloudと同期できていないのでシステムからAppleにサインインを要求する窓に誘われて、僕のそれまでの何か書こうとしていた思考が中断する。
ああそうだ、さっきまで地下駐車場の車の中でぼうっと1970年から51年間のことを振り返っていて、原宿のバザレリというアパレルにいた頃、祖母がもう近いうちにたぶん亡くなりそうだから最後に一目会いに帰郷するように言われて岡山に帰った時のことや、新宿のレインボーという金融業の不動産担保ローン事業部で昼間は貸付け係りで夕方からは毎晩のように取り立て係りもやらされて、毎日最終電車で帰宅するような今から思えば会社とは思えないような会社だったが、それでも中途採用で入社する時の私の条件を了解してくれた珍しい会社だった。それは毎週2日は、自宅兼道場で少林寺拳法福生道院をやっているので午後4時に早退させてもらっていたのだ。その会社に2年位いた時にやはり親父の葬式の喪主を務めるために帰郷させてもらっている。親父は72才で亡くなっている。僕は今年の10月で73才になる。

なぜ、1970年から数えるのかというと、今日の世界の各国の社会状況から振り返ってやはり、僕らの全共闘運動は敗北するべきではなかったと思うからだ。それから年月は過ぎて、最早、幻想の国立峰の松風大の1969年の本館奪還闘争の同志であり全闘委々員長だった無用の介君が50代の終わりころだったと思うが亡くなった。それにしても新日文甲府読者会の生保内さんの墓参りに行った日のことを思い出すのだが、三重県の根茶江浮くんはいたが無用の介はもういなかった。そう言えば、長野の三文評論のトテさんをシトロエン2CVに乗っていた頃、訪ねて行こうと思いつついた頃、つまり2000年にユセフ檜森が日比谷公園カモメの噴水前で焼身決起した頃、「彼は辛かったと思う。ずっと苦しんだのだと思う。」とトテさんらしい感想を何処かに書いてくれたのを覚えている。

それから2年位して彼も亡くなったと思う。1971年の大晦日から正月にかけて甲府に戻った後、長野まで足をのばし、トテ氏に会いに行っている。それから1970年代に姫路の向井孝さん宅にもよく行ったのだが、2003年に岐阜で亡くなられたのだった。僕の場合だが、50代の頃は身の回りの友人が亡くなるということは随分少ない方だとよく言われたものだった。しかし、流石にこの年齢になると昨年は清瀬で塩見孝也を、今年は経産省前反原発テントで渕上さんと正清さんを9条改憲阻止の会の皆それぞれ後期高齢者となった仲間とともに葬送したのだった。このブログをベタ書きする小一時間にいつも備前焼のぐい呑みで1杯だけにするつもりがいつも3杯か4杯になって翌朝に未消化のアルコールが残っているのが分かるのであるが。書き終わって公開した後、今度はベッドの中で寝る前に最近よくYoutubeでジャズを聴くのであるが、昨夜はHorace Silverの1964年のライブでPretty eyesを聞いたのであるが、曲のタイトルに対する彼の解釈がとても素晴らしいと思った。

(補記)この51年の間に5人の伯父と2人の伯母と2人の従兄弟の葬式に行けてなく勘定に入ってない事に後から気がついた。ただただ義理を欠いたということでは済まない忸怩たる想いに寧ろしばらく浸っていよう。

I am in the Hibiya Library.
You can see the gull fountain over the glass. I made 610 yen with a set of Baumkuchen in a PRONT coffee, but Baumkuchen is too sweet and it is not a pleasant sweetness.
I regret that I had to ask from the beginning. If I return to the car in the underground parking lot, it is in the bag that Rika’s baked yeast bread is covered with butter and wrapped in a wrap. Even though the thermal insulation bottle for mountain has a cafe au lait with Nescafe in soy milk from Co-op. Two or three days ago, Akiyama-kun, as usual, without a foreboding again, at 7:30 am It is unusually rare in the H6 year-ranked 3000L diesel 4 number, but it is loaded with morning picking vegetables for the five-seater Appeared. When you enter the WordPress blog, “To publish the post, please click on the link of the authentication email sent to pencil@jca.apc.org  to confirm the email address.” If neither of the
texts open, I can’t sync with iCloud, so the system prompts me to sign in to Apple, which breaks my thinking I’ve been writing.
Oh yes, I just looked back at the underground parking car in the car in the underground parking lot from 1970 until 51 years, when I was in the apparel called Bazarelli in Harajuku, my grandmother is likely to be dead soon When I was told to go home and came back to Okayama, I was in charge of lending in the daytime in the real estate collateral loan business division of the financial industry of Rainbow in Shinjuku, and I was also taking care of it every evening from the evening, every day It was a company that did not seem like a company if you think that you would go home on the last train from now, but it was still a rare company that understood my conditions when joining mid-career. That’s because I’m doing Shorinji Kempo Fusei-doin at home and dojo every two days, so I had to leave early at 4 pm. When I was in the company for about two years, I am also sent back to serve as a mourner for my dad’s funeral. My father died at the age of 72. I will be 73 years old this October.
The reason why we count from 1970 is that, from the social situation of each country in the world today, I think that our all-out fighting movement should not have been defeated. Since then, years passed, and I think that it was already around the end of my 50’s that the useless agent who was the compatriot of the 1968 main building resurgence struggle of the national flag of the national mountain of fantasy, and who was the chairman of all fight committees . Even so, I remember the day I went to visit the tomb of Mr. Lifepo in the Nippon Bunkofu Readers Association, but there was a root tea ebo-kun in Mie Prefecture, but there was no more useless mediation. In other words, when I was on a Citroen 2 CV while I was on Toto, who was a critic of Nagano’s three sentences, when I was thinking of going to visit, that is, when Yusef Takimori burned in front of the Hibiya Park gull fountain in 2000. I think he had a hard time, I think I had been suffering for a long time. “
I think he died two years later. After returning to Kofu from New Year’s Eve to New Year in 1971, we go to Nagano and go to see Mr. Tote. Then I went to Takashi Mukai’s house in Himeji often in the 1970s, but he died in Gifu in 2003. In my case, when I was in my 50s, it was often said that the death of a friend around me was quite small. However, when it comes to age, this age last year Kiyoshi Takaya Shiyomi, and this year the Ministry of Economy and Anti-Neutral Power Plant Tate Sagami-san and Masayoshi-san at funeral together with fellows who became late seniors in the 9th Article Constitutive Party, respectively It was done. I’m planning to make only one cup with Bizen ware always in a small hour writing a solid blog, but I can see that there are always 3 or 4 cups of undigested alcohol left the next morning. After finishing writing and publishing, I often listen to jazz on Youtube recently before going to bed in bed, Last night I heard Pretty eyes at Horace Silver’s 1964 live, but I thought his interpretation of the song title was very good.

Addendum: The only reason I can not go to the funeral of three uncles and two cousins during the last 51 years is that I just feel sorry for my lack of in-laws.

On the return of the meeting that makes use of the Date Judgment

「伊達判決を生かす会」の帰り道で、S氏(元・東大全共闘法研行動隊長)がまた新宿の抜弁天の近くで転倒して頭を打ったらしい。一ヶ月前にも雨の日に頭から血を出して座り込んでいるのを電話で知らせてくれた人がいたのだが。2ヶ月前に新大久保の地域包括センターのケアマネが家庭訪問した時には自己申告で年に4回位転倒していると言っていたが、今年は3ヶ月前の朝、全身が動かないので小滝橋の都バスの清掃のバイトに行けないという電話があって東京女子医大に一緒に行ったら4年前の脳梗塞が再発したらしい。多分その性で左足が麻痺しているのがさらに悪化してここのところ転倒が続いているのだろう。今度の土曜か日曜日に山梨県東八代で25年位前から開業している横山均整院に久しぶりに連れて行って診てもらうことにした。確か国保は効かなかったと記憶しているが15分で診察料は1万円だが確か九州の日本一の均整術の先生の弟子だ。私も15年位前に何度か通ったのだが凄い腕前だったのを私自身の身体が記憶している。少林寺拳法の武道専門学校の高等師範科で同期であるのだが、当時から凄い奴だった。周りの道院長仲間の何人かが彼と同じ渋谷の均整術の学校に2年間通って開業したという話までは聞いたが、私もその学校に通いたいと思って彼の道場を訪ねて行きどう思うかと聞いたことがあるのだが、彼は実に正直で、ほんの少しの間俯いて考へていたかと思うと、「長船先輩は、止めたほうがいい。才能がないから。」と、いや、はっきり言う奴だなあと思ったが、いや、一緒に行ったリカさんも笑っていたが。

It seems that Mr. S (formerly, the University of Tokyo University Undergraduate School Acting Director) has fallen and knocked his head near the vent. A month ago there was a person who told me that I was sitting down with a bloody head on a rainy day by phone. He said that when he visited the home of the regional comprehensive center of Shin-Okubo two months ago, he had fallen four times a year by self-reporting, but this morning three months ago, Otaki Bridge because his whole body did not move I heard there was a phone call that I can not go to the Tokyo Metropolitan Bus Cleaning Department, and I went to Tokyo Women’s Medical College together, and it seems that a stroke four years ago has recurred. Perhaps that the sex of the left foot is paralyzed worse, and falls have continued here. On Saturday or Sunday next time, I decided to take him to Yokoyama Doctor’s office ”Body balance method, which has been in operation for around 25 years in Higashi Yatsushiro, Yamanashi Prefecture, for the first time in a long time. Certainly I remember that National Health Insurance did not work, but the examination fee is 10,000 yen in 15 minutes, but it is a disciple of the teacher of Japan’s best balance technique in Kyushu certainly. I also went a couple of years ago, but my own body remembers being an ugly prowess. It is the same period in the upper basics department of the martial arts technical school of Shorinji Kenpo, but it has been an ugly guy from that time. I heard that some of the fellow professors around him went to the same style school in Shibuya for two years, but I also wanted to go to that school and went to his dojo I have heard what he thinks, but he was really honest, and I thought that I was thinking about it for a while, but, “My Nagafune should stop, because You have no talent.” Well, I thought I was the one to say clearly, but no, Rika who went with me was also laughing